2016年2月1日
価値観とは人それぞれが持つDNAと同じくらい個々人に固有のものであり、
他者のそれとは永久に相容れない。
価値観を他者に押し付けることができると期待するほど、
価値観は孤独の闇に葬り去られ、絶望へと陥る。
“他者によって阻まれる”感覚は、孤独という宿命に根差した価値観の実体に由来する。
決して自己の価値観を蔑ろにしてはならないが、
間違いを犯す人間の本質を省みれば、その正当性に執着することもまた避けなければならない。
結局は自己の価値観が自己を阻んでいるに過ぎないのである。
同様に、無理に他者に合わせようとすることも不毛な試みである。
孤独と無常という運命を受け入れられてこそ、
人は互いに思い遣り、支え合うことが可能となるのである。
Autor: 岡田琢朗
心
2016年10月25日
心とは何か。「生きている」とはどういうことか。
モーツァルトは生きているのか。いや、多分もう死んでいる。
ではモーツァルトの心はどうか。ひょっとするとまだ生きている。
「生きる」とは何を指すのか。身体さえあれば生きているのか。
身体がなければ生きていられないのか。
心とは何か。精神とは何か。意識は人の何を指すのか。
人は何かを通して死んだ人の心を感じ取ることができる。
身体は亡くなっても、心はまだ生きていると感じることが確かにある。
その人が生前努力していたもの、尽力してきたもの、大切にしてきたこと、
人々に託したこと、今も残るその人の活き活きとした遺産には、
間違いなくその人の心が宿っている。
身体を失い、脳を失い、いわゆる意識を失ったその人は、
もう自身の心を感覚することができないのかもしれない。
でも、身体が生きている時だって、意識が常に心を感覚しているわけではない。
「意識する」ことが、生きている心の第一条件ではないのである。
モーツァルトのように何百年間も生き続けることばかりではないかもしれないけれども、
人の心や精神は、確かにどこかで生き続けている。
人生
2016年10月16日
仕事をしていると、職務上の問題がいろいろある。
同じように、生きていると人生はいろいろとある。
大事なのは、仕事と同じように、いかに割り切ってそれらとの間合いを保っていくか。
仕事は仕事と割り切れる。生きているとは何か。人生とは何なのか。
運命と無常の中で、生きていることの意義と人生の価値は悟られなければならない。
仕事も演奏も政治も人生も、“設計主義”に陥ってしまったらロクなことがない。
どんなに高い理想を抱いていても、物事は常に現実が基準・主体となることを忘れてはならない。
設計図は実体を生み出すための動機であり、いわばイメージに過ぎないのである。
心の絶対的な憧憬を祈りにおいて体現することが、主体的な人生を創造する。