2024年2月16日
無常なる世の真理において、人の有り様はあまりにもちっぽけであり、
その無力な在り方からすると、
情けないという人の真理もまた逃れようのない宿命なのかもしれない。
しかしながら、命あるものの本来在るべき姿というのは、
与えられたその命、生を全うすることに心血を注ぐ様であり、
情けない、あるいはみじめな状況や状態に陥ることがあったとしても、
決して自らの信念や志を手離すことなく、
生涯を通じて自らの信じる価値を追い求め、
引いてはそれが後世を豊かにするという希望を抱き続けることにおいて、
人生の意味や幸福感を見出してゆくことが可能になる。
自らのみじめな様を嫌悪し、それが他者のせいであると嘆き、
自身を擁護してくれる”母親代わり”を切望していては、
精神的自立も、自らを律することも出来ない、
不平不満ばかりを口にしては、自らの可能性も希望も見出せない。
そんな態度では、本当に情けない”だけ”の人間になってしまう。
非力で不甲斐ない、情けないという誰しもに降りかかる、
いわば人としての宿命の下にありながらも、
自らの存在意義を確信し続け、
逆境や苦境にありながらも決して希望を失うことなく、
自己の可能性を信じ行動し続けることで、
人は生き甲斐を見出し、
生きていること、そして死に行くことへさえも幸せを感じるのである。
Autor: 岡田琢朗
志
2024年6月20日
日々の課題を処理、あるいは克服してゆくためのメンタルの在り方において、
物事や事象を捉えるための視座・観点・立ち位置を効果的に確立することは、
それらを実現してゆくための喫緊の条件と言える。
確かな感覚を保持しながら作業を進めることは、
その作業のクオリティだけでなく、
日々を過ごしてゆく上でのメンタルの健全さ、
ひいては生き甲斐や人生観の有意義な在り方を左右するものとなる。
日常の活動を強固な軸足と心構えを以て構築し、課題との距離感を保ち、
不動の信念のもとに歩みを進める。
個々の課題と対峙することや目標を過剰に意識することで、
精神をひたすら追い詰めるのではなく、
その日その日の心の状態を偽りなき志を以て形成し、同一性を確立し、
着手するべきモノとの間合いを見定めたうえでその状況と向き合えば、
それらは自ずと然るべき方向へと導かれてゆく。
現世の真理たる「時の流れ」の下に現出する「場」を治めることが、
人生におけるメインテーマであり、
その場その場に真心を以て集中することで、
作業との健全かつ持続的な関係を築き上げることができる。
芸術でも格闘技でも、課題や対峙する相手ではなく、
愚直なまでにひたすら自己を見つめ、
日々における自己の弱みと真正面から対峙し、競り合い、打ち勝ってゆく。
結果はどうであれ、一日一日の決然としたその姿勢が、
生涯における活路を見出してゆく。
組織
2023年7月11日
同じ立場あるいは権利者の複数の人間が平等に、
いわば”民主的”に主張を通して物事を決めることを理想とするドイツ人に対し、
日本人は”大将”をはっきりさせ、その人物に決定権とそこへの責任を集中させた上で、
その下にある現場の人間が物事を動かすという、
ある種の”官僚的”組織形態を意思決定の基本とする傾向にある。
”民主的”組織だと、当事者それぞれが主体的に意見や判断を行うことで、
個々人が納得のいくバランスにおいてプロジェクトを進めることが可能になるかもしれない。
一方で、重要事項やトラブル、
誰かのミスについての責任の所在がはっきりしないことで、
各々が自らの正当性を主張する反面、
それぞれに責任を押し付け合うという矛盾した状態に陥ることが多い。
”官僚的”タテ社会を現代にいたるまで積極的に重んじる日本社会においては、
性善説とそこへの信頼こそがその構造のバックボーンとなるのであり、
組織が機能するかどうかは、ひとえにトップの人物の人となり、人格に依拠してきた。
自身の上に立つ人物への全幅の信頼を置けるからこそ、
下位の人間も携わるプロジェクトに全身全霊を捧げることが可能となるのであり、
進んで誰かの右腕となることができる。
ただ、これからの社会を担ってゆくZ世代においては、
このような「自己犠牲の美徳」というような感覚は希薄となり、
世代の違いからくる価値観の摩擦が、
今後の日本社会においてどのように解消され得るのかが大きな課題となるのであろう。
一方でジェネレーション・ギャップとは、
人類がいかなる時代においても経験してきたことであり、
歴史においてここにどのような”潤滑油”が用いられてきたかを精査することができれば、
おのずと打開策も見つかるのかもしれない。
組織において「ヒト」とは「要」であり、
要とはなくてはならないものでありつつも、それを要する人物の所有物でもない。
これが厄介な事実であり、難解なトラブルの原因となり得る。
組織に属する人間に甘い考えが蔓延るとそれらは特に厄介になる。
責任者自身がそれにより損害を被るだけならば自損事故で完結するから問題ないが、
それが下位の人物やクライアントに負の影響を及ぼすこともある。
もっと厄介なのは、
下位の人物が自己の甘い考えを責任者に対して押し通そうとする場合である。
日本人は本来「素直さ」を重んじてきた民族であり、
ドイツ人は「ロジック」を重んじてきた。
「ここだけは絶対に譲れない」という芯の部分を確立し、
それ以外のものはあえて流れに任せ、余分なものをシャープにそぎ落としてゆく。
そのような明確な二元性を日本文化は本質的に備えている。
それに対し、物事の細部に至るまでの整合性を追求し、
解剖学的に全体の有機性を担保することを試みるのがドイツ文化。
陰を、陽を以て釣り合わせ、
ネガティブな要素をポジティブなものの発達の機会と捉え、
ある種の楽観的な二元性の下で実存を成すことが日本民族の理念。
確かなコンセプト、ロジックの構築を以てネガティブな要素や矛盾、
ミスや過ちを回避しようとするのがドイツ民族の根本。
日本的発想でいえば、ドイツ的発想は”頭ごなし”。
物事の本質を感覚や感性において把握するのではなく、
観念的に評価することで表面的にしか捉えられず、
かえって本質そのものを見誤る危険をはらむ。
ドイツ的発想からすると日本的発想は無知かつ妄信的。
全体主義的風潮の中で個人の権利が阻害される危険をはらむ。
日本人からすると、その懐疑心こそが”知性への妄信”であり、
またこのような日本人の判断もドイツ人には”稚拙的”と認識される。
それぞれの文明や時代、民族性に特徴的な各々の社会論や組織論は、
いかにして効果的かつ革新的に繋ぎ合わせることができるのか。
そこに明確な糸口を見出すことこそが、新たな時代と価値を切り拓いてゆく。
音楽と人
2022年11月25日
ヨーロッパ史における音楽の機能的な発展、
神学の緻密な研究と構築は、
この人種に顕著な観念への偏向とのバランスを取り得る芸術の創出、
またこの偏向自身が着地するべき安堵の場所、
いうなれば「彼岸」を見出すことを目指してなされたものだろう。
音楽は人の不安も落胆も、本音も覚悟もすべて受け入れ、
それらすべてに寄り添ってくれる存在。
それはまさに「己を死へと導く」という逃れ得ない人の運命に、
気持ちとしての確かな意味を与えるものではないだろうか。
生きる意味とは誰しもが自ら見つけ出すしかない。
だからこそ、
たそがれの気持ちの中に個々人の実存の本質が宿っている。
いかなる栄光も成果もいずれは陳腐なものとなってゆく。
意識しようとしまいと、人は常にこの動かぬ事実に翻弄され、
生きることの空虚な様から逃れることはできず、
その空しさをごまかす術を探している。
観念の活動に重心を定着させるほど、肉体的な、
あるいは社会的立場としての自己の限界を受け入れることが難しくなり、
否が応でも絶望へと追いやられてしまう。
人は結局のところ、自己に安堵を提供してくれる超越的何か、
甘えを満たす何かを「仕立て上げる」ことしかできないのであり、
むしろそれが引いては、
文化の発達の根本的なモチーフとなりその発展を実現してきた。
音楽はその点において、人の感情や内情と直結するものであり、
感覚が直接的であるがゆえ非常にリアルな臨場感を伴いながら、
自己に安らぎを与える超越的な偶像を現出する。
人は年輪を重ねるごとに人生のはかなさを如実に痛感し、
その虚しさと思い出に宿るノスタルジックな感覚に浸ることの運命において、
自己の存在の有限なることを受け入れる。
その極めて個人的かつ繊細な感情に、
これ以上ないほど温かく寄り添うことができるのが、まさに音楽なのである。
自負
2021年5月24日
ちっぽけな自己の運命。
どんなにつらくても成るようになるし、
どんなにあがいても成るようにしかならない。
だからこそ肩ひじ張らず、ありのままでいこう。
大いなる天地の下に見出される自己は、
まさにカスのようなちっぽけな存在。
ただカスはカスとしての立場を担い、
その存在を全うすることができる。
曲がりなりにも全うしてきた命。
場面場面で残してきた実績。
その実績においてはもたらされた成果よりも、
そこに注ぎ込んだ力とその働きそのものにこそ、
精神の充実と自己の成長を感じることができる。
それがクラブ活動であれ文化祭であれ、
あるいは何かの業績や趣味への没頭であれ、
全てにおいてはその働きそのものにこそ、
精神養成の実績と自己の実存が宿る。
そんな揺るぎない「自負」において、
人は生きることへの活力を育むことができる。
長けるということ
2021年10月5日
何かに長けるということは、
同時にその他の何かに疎いことを意味する。
ヴァイオリンに長けている人は概してサッカーに疎い。
ヴァイオリンとサッカーの両方に長けていたとしても、
寿司を巧みに握れるわけではない。
「何かに長ける」とは、
特定の何かに「費やす時間」が長けているのであり、
その他を犠牲にしてきたことからするとそれもまた当然である。
長けているのはまさに時間であり、
時間とはその人物の人生、存在そのものである。
‟その人物に固有の時間”が特定の物事に長けている、
その事実こそが人の実存を形作る。
人生という限りある時間の中で人は長けるべき何かを見つけ、
結果それ以外の何かには疎くなる。
人とはこの意味で元来バカな存在であり、
その飾らず驕らないバカ正直な信念こそは、
日本人が古より重んじてきた誠実の本質なのである。
ありのままということ
2021年4月27日
どう転んでもたった一度しかない人生。
過ぎ去ってしまったものはどうあがいても変えられない。
周りがどうであろうと、自分にはそれ一つしかない。
だからこそ、「動かぬ真実」としての人生の軌跡に宿る、
自己のまさにその本質を決して見逃すことなく、
自己の授かった温もりを決して忘れ去ることなく、
そこにありのままの自分を発見する。
その上で、自己の実体に即した可能性を洞察し、
社会へ還元するため尽力することを生き甲斐とし、
成果そのものは社会に譲ったものと捉え、
それらを私腹として漫然と捉えることを忌む。
自己の社会的立場がいかように変化しようとも、
自己の本質は決して変わることがない。
むしろのぼせ上がると自己を見誤り、
生身としての身を立てることが不可能になる。
人々から授かってきた温もりを見据え、原動力とし、
活力を発揮するその瞬間において、
自己が満たされていることを実感する。
嬉しさ
2020年8月23日
心をアクティブに、主体的に保つことも一つの技である。
その技は自分自身が自己を心から受け入れることによって生まれるのであり、
それを実現させるのは「嬉しい」という素朴な感情である。
いつ何時も嬉しさは過去に起因するものであり、
仮に今この瞬間を嬉しく感じるのだとしても、
元を正せばそれすらも過去に生じた感覚の追体験に基づく。
つまり、顕在的に意識されるかどうかに関わらず、
嬉しさは胸中に常に宿っているのであり、
それこそが生きるための活力の源となるのである。
未来への祈りはこうして生まれるのであり、
天地無常の下にある人間の存在意義を定め、
実りある、価値ある未来へ決然と進むための覚悟となる。
遠い遠い過去の記憶をそっと呼び覚まし、感傷に浸ってみれば、
自己がどこから来るのか、
何によって生成されているのかを確信をもって感じることができ、
その有難さ、喜びに満たされてみれば、
人生にそれ以上を求めることもなくなる。
ただこの有難さこそが全てであり、その持続のため祈り、
それを生成する人々とのつながり、天地とのつながりの中で、
誰かに寄与することに新たな嬉しさを覚える。
満たされていることこそが慎ましさをもたらし、自己の揺るぎなさを生む。
こうして不要な成分をそぎ落とし、
スッキリとまとまった裸一貫の自己は密度を増し、
この凝縮された自己こそが自負となり、「自信」の根底を成すのである。
自己の真実
2020年12月1日
静かに呼吸を整えながら自己の死の姿をイメージしてみる時、
今この瞬間に生きているという自己の紛れもない真実が現れる。
その時に「自分には何もない」と感じる場合、それは自分自身が見えていないのであり、
自己を探し出すための深層心理への旅の始まりを意味する。
「自分は満たされている」と感じる時、
それは自分自身のそれまでの人生を誠実に見据えた真の姿であり、
他者や後世を思いやり、支えることのできる有機的なエネルギーの存在を指し示す。
満たされた幸せを実感すればこそ、自己自身のために生き抜いてきたことが誇りとなり、
そして死に行くという運命でさえ愛おしく感じる。
自己を十分に生きたという実感において、誰かのために尽くすことへの渇望が湧き上がる。
惜しみない愛を注いでくれた人々への想いに浸りつつ、
授かった愛を社会へと還元することがさらなる幸せをもたらす。
試行錯誤
2016年5月25日
いかなる分野においても自己の特性を最適かつ最大限活かせる形が必ずどこかに潜んでいる。
早急の課題はそれらを余すことなく見つけ出す方法を模索すること。
まずはがむしゃらに行動するしかなく、それこそがすべてなのである。
社会の中での自己の立ち位置とその環境を整備することで付加価値が生まれ、収入を得ることができる。
自己の健全かつ有意義な立ち位置を構築する上で、誰かの言動がヒントになるかもしれない。
ただ、自己の最適な立ち位置は誰かに教えてもらえるものでも、またそもそも教わるべきものでもない。
自らが主体的に開拓していくことのみによって成し得るのであり、その決意においてのみ、先人の教えを知恵として活かすことができる。
躍動感あふれる一日一日の営みこそが自らの可能性を導く。