2020年8月23日
心をアクティブに、主体的に保つことも一つの技である。
その技は自分自身が自己を心から受け入れることによって生まれるのであり、
それを実現させるのは「嬉しい」という素朴な感情である。
いつ何時も嬉しさは過去に起因するものであり、
仮に今この瞬間を嬉しく感じるのだとしても、
元を正せばそれすらも過去に生じた感覚の追体験に基づく。
つまり、顕在的に意識されるかどうかに関わらず、
嬉しさは胸中に常に宿っているのであり、
それこそが生きるための活力の源となるのである。
未来への祈りはこうして生まれるのであり、
天地無常の下にある人間の存在意義を定め、
実りある、価値ある未来へ決然と進むための覚悟となる。
遠い遠い過去の記憶をそっと呼び覚まし、感傷に浸ってみれば、
自己がどこから来るのか、
何によって生成されているのかを確信をもって感じることができ、
その有難さ、喜びに満たされてみれば、
人生にそれ以上を求めることもなくなる。
ただこの有難さこそが全てであり、その持続のため祈り、
それを生成する人々とのつながり、天地とのつながりの中で、
誰かに寄与することに新たな嬉しさを覚える。
満たされていることこそが慎ましさをもたらし、自己の揺るぎなさを生む。
こうして不要な成分をそぎ落とし、
スッキリとまとまった裸一貫の自己は密度を増し、
この凝縮された自己こそが自負となり、「自信」の根底を成すのである。