2020年8月22日
出会いとはまさに諸刃の剣。
出会いは自己を豊かにするが、同時に自己を見失わせる危険をはらむ。
多様で異様、そして密な出会いにおいてなお自己の領域を決するものが無常であり、
人は世の無常という真理において自己の限界を知り、
自己の立つべき地を見出すことができる。
慎みこそが自己の輪郭であり、どんなに大胆に行動を起こす時も、
慎みの心だけは忘れてはいけない。
むしろ大胆だからこそ軸足を頑なに保ち、ブレない心で臨むことが求められる。
世の無常にあえて心から甘んじることで、何かを成し遂げるために必要な境地が見えてくる。
大いなる天地とちっぽけな自己。
自己の虚しいまでに非力な真理こそが、
荒波にもまれ苦悩する自己を敬い慕うことを可能にする。
自己の置かれる状況は常に運命によってもたらされるものであり、
たとえそれが、場合によって否定的あるいは批判され得るような様相を呈していても、
決して自己の価値に何かしらの悪影響を及ぼすものではない。
自己の価値は良くも悪くも、状況という表面的な見えで推し量れるものではなく、
そもそもそれは‟はかられる対象”ですらないのである。
「対象」とは特定の主体との相対的な比較によって、
然るべき意義あるいは目的のため客体化される要素だが、
自己というものは相対化することもできなければ、それを試みる意義も存在しない。
慎みは自己の「真」の「心」を示す。
慎みにあってこそ人は自己の本当の可能性を洞察することができる。
慎みは禅であり、調和と躍動を同時に生み出す原動力となる。