2018年8月7日
日々忙しなく過ぎ去ってゆく日常の中では、人は厄介事に囚われ、
不安に苛まれ、自己を見失いがちになる。
自らの置かれている状況はその全容を見出せず、
ブラックアウトに陥っていることに気づくことすらできないでいる。
時に厳しく、時に残酷なまでに流れゆく時間の中では、それもまた無理はない。
一人の人間が裸一貫で処理できることは物理的に限られていて、
自らの置かれている状況のすべてに気を配ることなどそもそも不可能であり、
それを成し遂げようとすること自体が不毛な試みなのである。
人生を主体的に生きられるかどうかは、比重の問題である。
立ち位置を固め、間合いを確保し、攻めの姿勢を貫くことができるのは、
一重に幼少期から現在に至るまでの温かい思い出に満たされているからであり、
この「憧憬」という感覚こそが自己の核、そして童心の実体である。
その上で、長い目で物事を捉え、自己の限界をわきまえ、
難解な状況にも忍耐と覚悟で以って決然と応えてゆく。
天地における自己の小ささを洞察すれば、
一筋縄ではいかない人生も自ずと前向きに認めることができるようになる。