2016年6月13日
「誰かの庇護に甘えたい」、
そんな精神的な弱さがどこかに潜んでいる。
人として当然の姿ではあるが、
歳を追うごとに天地無常の真理は自己の理性を孤独へと追いやる。
「両親の代替え」を探し求めて心の不安を膨らませるのではなく、
無常なる運命の下で天地一体の心を体現する。
それは「時間」という厳しく、はかなくも恵みある真理への絶対的な追従を意味する。
多分、自分は人から嫌われている。
いや、大いに嫌われている。
しかしながら、それでお互い様。
人が完璧ではあり得ないという“誤性”の真理からすると、
嫌われること自体は悪いことではない。
問題は、孤独なる自己の運命を、
悲壮なる覚悟を以って余すことなく受け入れ、
それでいて自己批判と不安を断ち切ることができるかどうか。
天地無常と一体となれるかどうかは、
まさにここにかかっている。