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善悪是非

(講演テーマより抜粋)
人は幼少期からの教育によって物事の善悪を教え込まれる。この場合における子供に対しての善悪是非は、その子供が自立的に社会性を培うための基礎を育むことであり、親や教師の私情が含まれない限り、子供の絶対的価値を何ら否定するものではなく、ここでいうところの善悪是非判断には当たらない。しかしながら、幼少期に吹き込まれたこのような価値観は概して成人してからも根強く残り、日常における様々な機会においてほぼ無意識に個人としての善悪判断がなされ、その延長として事象・対象への是非判断が行われる。

本来、最低限の善悪認識を互いに備えているであろうという前提における大人同士、もはやそのような価値判断は不要であり、むしろそのような価値判断では通じ合えない。そしてそれは、捉える対象が自己である場合も同様である。

道理の在り方は社会や時代、さらには個人の違いによっても大きな隔たりが生じる。近世の儒学者やドイツ観念論者について言われるように、絶対的な理性や道理の在り方を説くものほど互いに否定し合い、攻撃し合う運命にあることは周知の事実である。

現実を道理や理性で捉えようとする姿勢、つまり批判的・解釈的に捉えようとすることがそもそもの不幸の始まりなのである。

また、時に人は「自分は何故こんなこともできないのか」や「自分はこんな立派な人間であり、他者もそれを認めなければならない」といった自己嫌悪や自己顕示に駆り立てられるのであるが、このような現象も超自我的な観念を主体とした心理状態から来る自己の歪みであり、それらは表裏一体の姿である。(ここにおいて「自己の歪み」と表現したのは、理想と現実の狭間における自己の葛藤を指す。)

自己に対するべきは善悪是非ではなく、その誠実さに対する惜しみない信頼であるべきではないだろうか。そして自己に対する善悪是非を退けることができれば、おのずと他者に対しても同様に振る舞うことができるはずである。

活動

2009年6月10日
企業に属して業務に携わるのと、
自らが主体となって活動を行うのとでは、
取り組みに対する覚悟がまるで違う。
当然ながら、自らの活動の方が断然大きな覚悟がいる。
企業の場合、組織という追い風が自らを後押ししてくれるが、
自らの活動は自らが風を起こさない限り、何も動かない。
その活動に人生のすべてをかけるというだけの確固たるプロ意識があって、
初めて道のりを切り開くことができる。
生半可な気持ちで臨んではいけない。

社会に生きる

2016年6月23日
謙虚な心と誠実なる意志に基づく限り、
無駄な取り組みなど存在しない。
謙虚であるためには、いかなる時も前向きでなければならない。
前向きであるためには、確固たる自信を保たなければならない。
自信を保つためには、あふれ出る情熱を絶やしてはならない。
情熱を絶やさないためには、感謝に満ちた情念と敬虔な自己を見失ってはならない。
情念と敬虔さを見失わないためには、自らを形づくってきた社会を見誤ってはならない。
幼少から自身を育んできた社会に少しでも温もりを感じ得るなら、
誠実なる意志は必ず社会を豊かにする。

弱さ

2016年6月13日
「誰かの庇護に甘えたい」、
そんな精神的な弱さがどこかに潜んでいる。
人として当然の姿ではあるが、
歳を追うごとに天地無常の真理は自己の理性を孤独へと追いやる。
「両親の代替え」を探し求めて心の不安を膨らませるのではなく、
無常なる運命の下で天地一体の心を体現する。
それは「時間」という厳しく、はかなくも恵みある真理への絶対的な追従を意味する。
多分、自分は人から嫌われている。
いや、大いに嫌われている。
しかしながら、それでお互い様。
人が完璧ではあり得ないという“誤性”の真理からすると、
嫌われること自体は悪いことではない。
問題は、孤独なる自己の運命を、
悲壮なる覚悟を以って余すことなく受け入れ、
それでいて自己批判と不安を断ち切ることができるかどうか。
天地無常と一体となれるかどうかは、
まさにここにかかっている。

囚われ

2016年4月5日
暗闇に感じる不安、見慣れぬものに抱く恐怖がそうであるように、
やむを得ず流れてゆく時間の中で人は時として困惑に苛まれる。
やむを得ざる時間の中では、人は予知し得ぬ未来に怖気づいてしまう。
しかし、純真な子供心に立ち還ってみれば、
それらが恐怖におののくべき負の真理でないことが思い起こされる。
日々のわくわくは、ただただ住む環境の中で見出される躍動感によって基礎づけられ、
それらは常に希望ある未来へと先駆する好奇心によって導き出される。
観念によって構成される仮想的な災いに囚われなければ、
時の流れは常に躍動をもたらす。

自然美

2016年1月12日
日本文化における独創性と欧州的それは根本的に質が違うのかもしれない。
欧州的独創性はイマジネーションの体現であり、
個を原点とするものといえる。
それに比べて日本の独創性は無常なる天地の真理に拠り、
「生」としての躍動感にその本質を求める。
そこに個性は含まれてはいるが、数ある要素の一つに過ぎない。
欧州型の独創性は個の縛りが強く、
複数を無理に同化させようとすればエゴイズムに陥るほかはない。
それに対して日本型の独創性は、
真理としての天地無常の一端を担うことにその本質を据え、
その真理の下で個性は自ずと同化されてゆく。
そこに善悪是非に対する判断は生じないのである。
むしろ多様なるこの相違にこそ自然美を見出す。
それが日本の審美感といえる。
日本の独創性には「時の流れが生み出す創造」という性質が強く現れるのである。
それは不完全や“誤性”という自然の実体への美意識であり、わび・さびに通じるものである。

幸福

2014年10月19日
幸福であるということは感謝の心に満ち溢れているということ。
日々の何気ない暮らしの中で、いかに「満たされている」という事実を感じ取れるか、
それによって、豊かな心は左右される。
当たり前のことが当たり前として存在できない世界がたくさんある中で、
今の自身の置かれる状況が恵まれているということに実感を持たなければならない。
自身が恵まれているという事実をより如実に感じ取れる時こそ、
豊かな心を見出すことが可能になる。
そのためにはまず現状維持に徹すること。
現状を維持することは消極的な姿勢を意味するのではなく、
むしろ積極的に過不足のない現状を実感として見出すことであり、
今この瞬間に充実を得、躍動を感じることを重要視する。
謙虚に自己を受け入れ、常に自己を労うことで、
感謝に満ち溢れた心は体現される。

挑戦

2010年1月12日
全身全霊をかけて挑んでもどうにもならないことがある。
残念だが世の中には必ずある。
でも、全身全霊をかけられるものにはなかなか出会えるものではない。
そんななかなか出会えないものに、幾度となく出会ってきた。
一筋縄ではいかない、どうにもこうにも動かせないものに、
これまで幾度となく出会い、そして挑んできた。
そうした出会いの度、全身全霊をかけてきた。
時には山が動いた。
その時は何物にも代えがたい達成感が溢れた。
しかし、どうにもならないこともたくさんあった。
欲すれば欲するほど苦しんだ。
とにかく苦しかった。
そうしてゆっくりと時間をかけて、現実を受け入れた。
そしてその度に、自分が少しずつ強くなるのを感じた。
全身全霊をかけられるものとの出会いに自分は幸せを感じる。
欲するものへひた向きな情熱を注いでいる時こそ、
自分は自分らしくいられる。
全身全霊をかけている時こそ、生きている喜びを見つける。
だから自分は、いつもひた向きに何かを追い求めていたい。
辛く苦しい想いをすることになっても、全身全霊をかけていたい。
自分らしさだけは失いたくないから。

想い

2010年10月31日
想いはいずれ、必ず報われる。
信じて疑わないことが、自らのアイデンティティを守ることへと直結する。
自らを過信してはいけない。ただそれ以上に、自らに疑念を抱いてはいけない。
不安に苛まれそうなときは、少し立ち止まって、
これまで歩んできた道のりを振り返って見渡せばいい。
自分が自分のために誠実に歩んできた道のりが広がる。
歩んできた過去という道のりこそが自身を形づくる。
想いを抱き続けてきた自分がそこにいる。
今はここに恵まれた自分がいる。
自分がいかに恵まれているか、いかにして恵まれたのか、常に自覚しつつ、
その恵みに値する、いやそれ以上の努力を以って、
自らの誠実さを見出していかなければならない。
他者からの恵みを授かるほど、より厳しい目で自身を戒めていよう。

不安

2012年3月25日 (大学生活における束の間の週末、飲み屋にて)
これまでほとんど生じることのなかった将来への不安が、
柄にもなく、今まさに胸中に存在していることに気づいた。
もちろん、自分の音楽を通してこの世界で成功を収める自信は十分あるのだが、
もし思うような成功に至らなかった場合、
果たしてその後もこの異国の地で人生を歩み続けられるだろうか、
自身の今後、死に至るまでの全生涯に対して、そんな言い知れぬ不安が生じている。
いや、むしろ自分個人の問題ではなく、この段階、年齢に至っては、
どこに住んでいようと、何をしていようとそういった不安が生じるものなのかもしれない。
誰もがこの時に、自分の人生と真正面から向き合わなければならないのかもしれない。
人生に絶望する“弱虫”は死を選ぶ。
いつ、何時も自分らしさを失ってはならない。
逃げ出したくなるほどの不安が生じるのは、そこに欲求が不足しているからに他ならない。
自分を保つのに必死で、前へ進もうという意志へとつながっていない。
欲することに恐れを抱いてはいけない。
いよいよ他人からの評価に目を向けなければならない段階に及んでいる。
「責任」というこれまでほとんど背負うことのなかったプレッシャーに対して、
新たな対処法を模索しつつ、自分らしさを貫いていこう。